ハンドメイドでお家遊び

〜母を家に迎えて〜介護も楽しく?

MENU

母が他界しました

母が他界しました。母を家に迎えて2ヶ月も経たずに。既にお葬式を終え、母はリビングの小さな骨壺の中です。

 

亡くなる1時間前まで水やジュースを飲み、「嬉しい」という言葉が最後になりました。30分前まで往診の看護師さんに体を綺麗にしてもらい、笑顔を見せていました。その後静かに苦しむ事なく逝きました。往診の先生が来てくださり、体が暖かいうちにさっきまで体を綺麗にしてくださってた看護師さんが、それは丁寧に優しくエンジェルケアをしてくださりました。母がまるで自分の最後を段取りしたかのように思えました。

私は母の容態が急変した時も、看護師さんが横におられたので取り乱さず家族に連絡し、母を看取る事が出来たと思います。

 

母の存在は大きく、心と時間がぽっかりと空きました。でも旦那が居てくれる…。居てくれて本当によかった。感謝しかないです。母には誤嚥なきよう水分は緩いゼラチン状にして飲ませていましたが、ある時からサラッとした水が飲みたいと言いました。旦那は母に水分を、夜中に嫌な顔ひとつせず小さなスプーンで何時間もかけて飲ませてくれていました。私よりも母の体の事を考えてくれた。そのお陰で私は夜寝ることができました。母の肺は最後の日まで誤嚥することなく綺麗な音をしていたそうです。旦那はお葬式の日も私より泣いていました。

葬儀には親戚の従姉妹まで沢山の人が別れを惜しみ、母は感謝の言葉をいただきました。母が他界する少し前に母の姉妹、父とLINEのテレビ電話でお互い顔を見て話し、関東から帰省した弟は母と会えました。私にできた事はこれくらいです。

もっと早く母に家に来てもらっていれば…あの時こうしていればと過去の選択時の事を思い出してしまいます。今さらなのですが。もっと沢山好物を食べさせたかった。

弱っていく母を見るのは辛かったです。でも、そんな中でも母と笑ったり、お互いに「ありがとう」と沢山言い合えました。濃く、かけがえのない時間を過ごせました。

 

ブログを介護ブログにしようか…なんて当初考えたりしましたが、甘かった。母の容態が毎日変わる状況でブログを書く余裕どころか自分の時間はほぼ無くなりました。

そして時間ができた今…介護をされる方の何か参考になるかもしれない。色んな工夫をしました。しかしそれらは次々と役に立たずに状況は変化しました。それを思い出すのは辛く悲しいです。またいつか冷静に書く事ができたらにしたいと思います。

今はレンタルの介護用品も返却し終え、母の部屋には実家へ返す布団類や未使用の介護用品類があるだけです。4月半ばから弟が一人暮らしになった父の元、ずっとお葬式やその後の諸手続きをしてくれています。そのお陰で旦那と私は心身を休め、普段の生活に戻れました。弟が居てくれて良かった。

家族以外に、実家のお隣りのご家族、病院の先生や看護師さん達、ケアマネさん、往診医さんと看護師さん達、ヘルパーさん達、レンタル介護用品の方達、介護タクシーの方達、マンションの管理人さんにもお世話になりました。沢山の方達に見守られ助けていただきました。本当にありがとうございました。

母も私も感謝でいっぱいです。母はこれからも近くにいてくれると思っています。これからはもう母に心配をかける事のないよう、元気に過ごしていきます。ブロ友の皆様もどうかご心配なく。

次からは普段の生活の記事に戻りたいと思います。